本丸より (13)

◆たまには写真のはなしを◆

チューリップ

< 巨匠 >

私は写真家でありながら、他の写真家の名前を余り覚えない。
その代わり、作品は一度見ただけで覚える。
私はそもそも名前を覚えるのが苦手で、それで勝手にアダナを付けては、自分流の識別をしているし、そうする他、覚えようがないのだった。

私が最初にラルフ・ギブソンという写真家と話をした時、失礼ながら、名前を知らなかった。
1996年頃だっただろう。ラルフ・ギブソンから作品を見てあげるからスタジオに来るようにと言われた。その時、ラルフ・ギブソンはサイン会をしていて、サインをするのに飽き飽きして、逃げ出してきていたらしい。私と写真の話をしていると、係りの人が呼び戻しにきて「やれやれ、また名前を書くんだ」と苦笑いして、丁寧に挨拶をして去って行った。見ると、写真集を手にした人の長蛇の列ができていたので、まあ、一応、写真家なんだろうなあと思って、私はさっさと帰ってきた。

私はこういう性格であるから「なんだか変なじいさんから作品持って来いって言われたよ~」とHMVのカフェでコーヒーを飲みながら、大学の後輩に話しをした。後輩は「誰?なんて名前のおっさん?」と聞く。ニューヨークという町は石を投げればアーティストや写真家と名乗る人物に必ず当るような町である。「さあ、何だったかなあ。なかなか紳士っぽかったよ」と言いながら、もらった名刺をファイロファクスの手帳から取り出して渡した。

後輩は、私と正反対で写真家の名前を映画俳優の名前よりよく知っている。
そして名刺を見るなり奇声を上げた。
「う、うわ~!ラルフ・ギブソンじゃん!めっちゃ有名やん、なんでなん、ねえ、なんで見てくれるん?(後輩は関西出身だった)」と興奮している。そこで、『へえ、じゃあ、本物の写真家なんだ。そう言えばサインしてたもんなあ』と言うと、後輩は「絶対行くんやで、こんなチャンス、めったにないでぇ。ええなあ。ええなあ」と羨ましがってばかりいる。

後で聞けば、彼はくだらない写真を見るために時間を使ったりしない、厳しい写真家のひとりで、門前払いを食らったり、一度見てもらっても「じゃあ、がんばって。さようなら」で終わる人が多いと言う。
それで、ラルフ・ギブソンが作品を見ている、というだけで、私の作品を見る前から「そりゃあ、いい写真家に違いない」と言われることがたびたびあり、つまり、そういう巨匠なのだ。

ラルフ・ギブソンという写真家は、生っ粋の“芸術写真家”で、商業写真や雑誌の写真などは一切行わない。世界中で個展を開き、作品はギャラリーで絵画なみに取り扱われている。それで、芸術写真に興味のある人には有名でも、商業写真の世界しか知らない人にはそれほど知られていない。 そして、芸術写真だけ撮って暮らして行ける、数少ない幸運な写真家でもある。

私は知人の間で“幻のポートフォリオ”と言われている自分の作品集を持って、ラルフ・ギブソンのスタジオを訪ねることにした。

子供の頃から、私は誰に会っても平然としているところがあって、“有名人”という肩書きは、はっきり言って、私には通用しない。
ラルフ・ギブソンがどれほどの写真家かもよく知らないまま、スタジオの扉をノックした。中から目つきの鋭いおっさん、いや、巨匠が出て来て、「ハロー」の次には「作品、持って来たか?」と聞く。これはこの時に限らず、スタジオに行く度にドアが開いた後、「作品できたか?」が「こんにちは」の代わりになった。

スタジオと言っても、撮影用のスタジオではなく、ワークスタジオといった感じで、広々としたスペースにマックが3台置かれていた。壁には彼の有名な作品が巨大なプリントになって並んでいて「あ、これ、知ってる。なーんだ、この人が撮ってたのか」とのんきに感心していた。

巨匠は「何を飲むか?」と聞くので、『紅茶です。アールグレイありますか?』と注文をつけた。巨匠はウェイターのようにアールグレイを電子レンジで沸かして入れてくれた。私はそれが可笑しくて、ケラケラ笑っていると「これが一番簡単なんだ」とおっしゃる。多分、紅茶を入れている姿を笑ったのは私くらいだったのだろう。

巨匠は待切れないといった様子で、私のポートフォリオを奪い取り、静かに表紙を開いた。そして、何度も何度も、ページを行ったり来たりして見ていた。

実は、私の作品とラルフ・ギブソンの作風には、共通するところがあって、それに巨匠も気が付いたのかも知れない。でも、私はラルフ・ギブソンの作品を知る前から、自分の作品を撮っていたので影響など全く受けてはいない。

巨匠が私の作品を見ている間、私は壁に並べられた彼の作品を眺めながら『なんだか、私のに似ている』と本人が聞いたら呆れ返るようなことを考えていた。

一通り作品を見た巨匠は私に話を始めた。
「君は、とてもいい“目”を持っている。」それが最初の言葉だった。
そして、私の作品について、アートについて、また、自分がなぜ、マグナムでのフォトジャーナリストをやめて、芸術写真だけでやっていこうと決めたのかなど、いろいろと話してくれた。そのどれもが、脳裏に焼き付く程、強いインパクトがあった。

そして、もっと作品をつくれ、もっと撮れ、撮れるんだから、もっと撮れ、と言う。おまけに、自分は世界一になるのだ!と窓から叫ぶくらいやれ、と言われた。
私は窓から叫ぶのはできればよしたい、と言うと、巨匠はケラケラ笑った。

そして、私は『写真を撮ることも好きだけど、私は“言葉”も好きで、文章を書くことも同じくらい好きです』と言うと、「自分も同じだ」と目を輝かせていた。

それから、次から次へ作品を持ってくるように言われ、そのスタジオに何度も行くことになった。

ラルフ・ギブソンは、私に技術的なことは一切言わない。
そんなことは必要ないと言う。その代わり、どんなインタビューでも語らない話をしてくれる。それが私には学校で学ぶよりもためになっている。

スタジオに行くと、いつもアールグレイを頂き、作品を見せてそれについて話をし、ひっきりなしにかかってくる電話に巨匠が出ている間に、私はそこらへんの物で遊んでいた。何しろ巨大なエッフェル塔がスタジオの真ん中にあるので、それが珍しかった。壁の一面には、なんと、私が珍しく自分でお金を出して買うほど好きなアンリ・カルティエ・ブレッソンのオリジナルプリントがかけてあって、本人のメッセージまで書いてある。『親愛なるラルフへ』と。他にも、あらゆる巨匠達のオリジナルプリントが個人的に贈られているのが飾られていて、私はただただ『スゴイ...』と感心し、1つ欲しい...と思った。

ある日、巨匠が紅茶の用意をしている間、机の上を見ていたら、1枚の絵葉書がおいてあったので、何だろう?と思ってみると、それはリンダ・マッカートニーからのはがきで、ポール・マッカートニーからのメッセージや子供達の描いた絵もあって、サインがしてあった。
私は『うわっ。ビートルズのサインだ!』と思って感動していると、巨匠はマッカートニー家とはとても親しく、その絵葉書を受け取ってしばらくして、リンダ・マッカートニーは乳癌で亡くなったのだという。

巨匠は私を見ていると「猫みたいだ」と言う。
巨匠の目には私はどうやら猫に見えるらしい。

窓の近くで話をしていたら、突然巨匠は「そのまま!」と言って、走って行った。
何ごとか?と思うと、愛用のライカを手に戻って来て、「この光りと君の顔の具合が美しい」と言って2~3回シャッターを切ると、どうやら別のライカのほうがいいらしく、「ちょっと待て。動くな」と言って、また走りだした。『私は写真家でモデルじゃない』とぶつぶつ言って、戻ってくる巨匠を振り返って見ると「動くなって言ったじゃないか!」と言って私の尻をパチンッと叩く。もう、すっかり巨匠は「写真家」に変身してしまっているのだった。すっかりファインダーの中の世界に入り込んでいる。その気持はよくわかる。なぜなら、私も突然走り出すことがよくあるからだ。

帰国した時に、紀伊国屋でラルフ・ギブソンの写真集を見つけた。
値段をみるとやたらと高くて買えなかった。
それでスタジオに行った時に『高くて買えなかった』と言うと、本棚から取り出して1冊くれた。言ってみるもんだなあと私は笑顔になり、巨匠は表紙の裏にメッセージとサインをしてくれた。そして、「君が写真集を出した時、ぼくにサインをして1冊おくれ。約束だよ」と言う。
その言葉が真面目に言われたことがとても嬉しかった。
そして、「君はぼくよりも沢山の本をだせるよ」と。

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